2011年06月21日

「 新道の家 」 と 「 自由学園 」

  いかす会ブログでも数度にわたりとりあげた、洋風住宅「新道の家」について、当会会長・岡野亘から寄稿がありましたので、掲載いたします。

「新道の家」の完成年、設計者は不明。昭和初期に登記されたということから、それ以前に建てられ設計に関しては「学生さんがやった」という伝えから、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計、大正12年(1923年)に献堂式が行われた、日本メソジスト豊岡教会の建設にかかわった森濱吉の、その息子という推測もあるが。

「新道の家」を建築という面からみると、設計にかかわった人物は、洋風の住宅建築について学んだ、それも、フランク・ロイド・ライトの建築の影響、もしくは参考にしていると思われるところがある、と感じるのは私だけではない。

2つの洋室の窓前には同じ仕上げを伴った建物と一体化した花壇が・・・外界を壁と窓で仕切っていくのではなく、花壇を介して建物の外と内が秩序立てられ、そして2つの洋室は、8畳の和室の前に設けられた広縁で結ばれている。

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 「自由学園 明日館」
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  「新道の家」

では、フランク・ロイド・ライトの建築と、石川家のつながりは。
「自由学園」が浮かび上がってくる。

石川家と「自由学園」を創立した羽仁吉一、もと子夫妻とは交友関係にあり、「自由学園」の用地も提供している。石川家の子女が自由学園に入学していることもある。また、羽仁もと子は、17歳で洗礼を受け、生涯にわたりキリスト教を信仰した。

羽仁夫妻は、プロテスタントの富士見町教会での友人、遠藤新に「自由学園」(池袋)の設計を依頼。しかし遠藤新は帝国ホテル設計監理(大正12年竣工)のために来日していた、遠藤新にとって師であるフランク・ロイド・ライトを羽仁夫妻に引きあわせた。羽仁夫妻のめざす教育にライトは共鳴し、共同設計を嫌うライトではあったが遠藤新と共に設計にあたり、大正10年(1921年)に中央棟と西教室が、大正14年(1925年)に東教室が竣工。遠藤新設計による講堂が昭和2年(1927年)に完成。遠藤新にとっては出発点ともいえる作品で、昭和9年(1934年)に自由学園は南沢(東久留米市)に移転したが、羽仁夫妻が「明日館」と命名し、卒業生の諸活動の拠点として使われてきた。
「新道の家」は「自由学園」と建築年という面からもその流れの中に入る。

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「新道の家」は現在、入間市の文化遺産をいかす会で調査を始めさせていただいている。「自由学園」とその人々との接点も探っていきたい。
余談になるが、遠藤新最晩年、昭和25年から26年(1950〜51年)にかけての作品が、旧飯能繊維工業・旧平岡レースの事務所、食堂として残されている。
また、一粒社ヴォーリズ建築設計事務所が昭和40年(1965年)に設計した更衣室も隣接して存在する。
池袋、東久留米、飯能といえば、武蔵野鉄道から現在の西武池袋線となった路線の駅。入間市(開業時は豊岡町)もその中に入る。文化の時空の流れを感じる。
  岡野 亘

[2011年6月29日 管理者からの追記]
飯能市・平岡レースの食堂・更衣室ですが、取り壊されたとの情報を得ました。
真実だとしたら大変ショックな出来事です。確かあの建物は行政の所有物だと聞いているのですが。管理者の個人的な感想ですが、後先考えずに壊してしまったとしたら強い憤りを覚えます。


posted by 文化遺産をいかす会 at 11:47 | Comment(0) | 入間市の文化遺産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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