2012年05月07日

石川幾太郎 と 武蔵野鉄道 と ・ ・ ・

5月7日は、西武鉄道の創立記念日です。それは、その前身、武蔵野鉄道が明治45年(1912)5月7日に設立されたことに由来し、今年、100周年の年にあたります。発起人は、飯能の出身の平沼専蔵、豊岡町では粕谷義三、繁田武平、石川幾太郎など、沿線の町村を中心に140余名で、社長は平沼専蔵が就任しました。
 二代目社長小能五郎の時、大正4年(1915)4月15日、池袋から飯能間が蒸気鉄道として開業します。
1336396581.jpg霞川橋梁下り線  

武蔵野鉄道開業時から使われている橋桁 
1336396619.jpg 旧入間川橋梁  

武蔵野鉄道開業当時の現存する最大の構造物
  
三代目社長として、石川組製糸の創業者である石川幾太郎が、大正10年(1921)から昭和5年(1930)の間その役に就きました。
石川幾太郎が社長にあった時期、大正11年(1922)10月1日、池袋から所沢の区間を関東の民営蒸気鉄道として初めての電化、電車運転を開始。関東大震災をはさんで、大正14年(1925)3月15日には西所沢まで。続いて、同年12月13日には飯能まで電化されました。

昭和2年(1927)10月15日には、豊島支線練馬から豊島が開業。昭和3年8月11日に池袋から練馬間を、昭和4年3月20日には保谷まで複線化。同年5月1日に村山支線西所沢から村山公園(移設後、現西武球場前)間開業。同年9月10日、吾野線飯能から吾野間開業と、発展期をむかます。

石川幾太郎にとって大正10年から12年にかけての時期は、石川組製糸の迎賓館として西洋館を建て、石川幾太郎が土地と建設費の多くを献堂した豊岡教会の礼拝堂(現武蔵豊岡教会)の建設。それは石川幾太郎にとって輝かしい日々であり、石川組製糸、豊岡教会、武蔵野鉄道をもって、入間の地に産業革命が起こったことを象徴するかのような光景が出現したことを意味します。

5月7日という日は、豊岡教会の設計者、W・M・ヴォーリズが天に召された日でもあります。それは東京オリンピックが開かれる昭和39年1964年のことで、この年、W・M・ヴォーリズと同郷で同じ1880年生まれ、少年時代ピアノの連弾を共にし、後年日本で間接的に関係をもったD・マッカーサーが4月5日に亡くなっています。また、武蔵野鉄道を引き継いだ近江出身の堤康次郎が4月26日に亡くなりました。

明治45年、武蔵野鉄道が設立されたこの年、石川幾太郎の初孫、石川源一郎が1月29日に生まれています。

1336396657.jpg昭和3年(1928)
6月6日

石川組製糸西洋館玄関前

中央が石川幾太郎 左から長男民三、アメリカの貿易商チェニー氏 右から二番目が源一郎  


posted by 文化遺産をいかす会 at 11:01 | Comment(0) | 入間市の文化遺産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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